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今日はおじいちゃんの法事の予定だったけれど、おばあちゃんの入院で延期になったので、カボチャのシュークリームとみかんを持っておばあちゃんのお見舞いに行った。おばあちゃんはだいぶ元気になっていて、普通に起きあがれるようになっていた。私の顔をみるとまた「忙しいのに悪いわねえ」と言った。でもどうせ法事の予定だったんだし。

手術前、おばあちゃんの頭蓋骨の中には2センチの厚さで帽子をかぶるように血がたまっていたそうで、その血が脳を圧迫して鬱や痴ほうのような症状があり、精神的に苦しかったらしい。

おばあちゃんが引き出しから手帳を出して「慢性硬膜下血腫」と小さい字で書いてあるページを見せてくれた。従姉で薬剤師のチホちゃんが、自分の病名を忘れないように書いてくれたのだそうだ。だけどそれは本当に小さい字で、とてもおばあちゃんが読めるような文字ではなかったのが哀しかった。

おばあちゃんが「昨日私が受けた頭の検査、なんだっけ?」と聞くので、「CTじゃない?」と言うと「ああ、そうそう、CT。MRIは覚えたんだけどね」と言って手帳に「CT」と書き込んだ。

それからしばらく、おばあちゃんと昔の思い出話やカボチャのシュークリームの話など、くだらないおしゃべりをしていたら、従姉で医者のナホちゃんがお見舞いに来た。ナホちゃんは私よりも2歳年上で、なぜかいつも能面のような顔をしてる。たぶん医者には向いてないと思う。

おばあちゃんがナホちゃんに、「頭をシャンプーしてから退院したいんだけど」と言うと、ナホちゃんは「退院する日は医者が決めるの。おばあちゃんは決められないの。シャンプーなんてどうだっていいでしょ」とすごく冷たい言い方をして、それは手術の日に会った医者の物言いとそっくりだったのでビックリした。

私は中学生までおばあちゃんと一緒に暮らしていて、相当なおばあちゃん子だった。私にとっておばあちゃんは、お花や編み物やワープロの打ち方を教えてくれるカッコイイ人だったし、今もその関係は変わらない。

だけどナホちゃんやチホちゃんにとっておばあちゃんは、弱く、社会的知識が少なく、わがままな子供のような存在のようだ。もちろん状況が逆なら私もおばあちゃんをそういう風にとらえたかもしれないけれど、成長する孫と老いていく祖母という関係を目の当たりにすると、これは思ったよりもショックだった。

健康じゃない老人と一緒に暮らすということは、たぶんすごく大変で、家族なのだから時にはぞんざいな扱いになってしまうこともあるだろう。おばあちゃんのことを任せ切っている私に文句を言う権利はない。ないけれども、権利がないこと、そのことがくやしい。できることならおばあちゃんとまた一緒に暮らしたい。

それでもおばあちゃんが元気なことで、私も元気になった。「トイレに行くときはナースコールしてくださいね」と言われていたのに勝手にひとりで歩いてトイレに行ったりしていた。もう大丈夫そうだ。

帰って大量のゴボウと豚肉を煮て食べた。